哲学ってなに?
わたしは一時期、大学で西洋哲学を専攻していました。
半年ほどのことなので、「哲学を専攻していた」なんて言えるほどでもないですが。
「哲学」なんて勉強して何になるの・・ってよく言われていました。
当時のわたしは、実際のところ「哲学」が何なのかよくわかっていなかったと思います。
ウィキペディアによると、「哲学とは、存在や理性、知識、価値、意識、言語などに関する総合的で基本的な問題についての体系的な研究であり、それ自体の方法と前提を疑い反省する、理性的かつ批判的な探求である。」と記載されています。
ますますよくわかりません。まあ、いろいろと探求していくんだな‥そんな感じです。
また、このような例えを聞いたことがあります。
目の前に一本の道が続いている。目を凝らしてもどこまで続いているのかわからないほど、はるかかなたまで続いている。その先に目的地があるのかどうかもわからない。ある人は、きっとここが目的地だと信じ、その道から外れて居を構える。それが宗教だ。哲学をするものはずっとずっと歩き続ける。
ちょっと宗教に対して失礼ではないかと思うのですが、その時のわたしには妙にしっくりときたことをおぼえています。
子どものなぜなぜ?
小さな子どもに「ねえどうして・・」と聞かれ、それに答えても「それはどうして」と繰り返されることがあります。大人は途中で面倒くさくなって「そういうものなの」と話を終わらせようとしてしまいます。
子:「ねえママ、ぼくバイキンマンが好き。」
母:「えー、バイキンマンはわるい人よ。アンパンマンが正義の味方よ。」
子:「でも、いっつもアンパンマンにやっつけられて、かわいそうだもん。」
母:「バイキンマンはわるい人だから、しかたがないの。」
子:「どうしてアンパンマンが正義の味方で、バイキンマンはわるい人なの?」
母:「そう決まってるの。」
確かに面倒くさそうですね。
この対話はわたしが創作したものなので、このお母さんの対応についてどうなのかは置いておきましょう。
おそらく、この先には「正義ってなに、悪ってなに、正義の名のもとであれば暴力は正当化されるの」って言うようなことを説明しなくてはいけなくなるのかもしれません。
抽象的思考能力が未発達の子どもにその概念を伝えるのは難しいのかもしれませんね。
しかし、このとき子どもは哲学をしている、純粋に知の探究をしているように思います。
大人は思考停止?
では大人は、本当に面倒くさくなって話を終わらせようとしたのでしょうか。
それもあるかもしれませんが、自分でも答えに詰まってしまうと直感的に感じたのではないでしょうか。
急になにか、「そういうもの」と自分自身にも言い聞かせてきていることに気が付いて・・。
その先を考えることは、なにか恐ろしいことにつながるような気がして・・。
だって、今までまわりからコピーした価値観で無難にすませていたのに、その前提を疑うところから始めないといけなくなりますからね。
これって「ニヒリズム」?
どんなこともずっとずっと深掘りしていくと、堂々巡りになってしまうか、確かなものなんて何もないのではないかと思えてきますよね。
これって「ニヒリズム」?
これまたウィキペディアによると、「ニヒリズムは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場のこと。」と記載されています。
わたしは枠にはめることは嫌いですが、「ニヒリズム」って、一生けん命に深掘りしちゃった人たちがたどり着いた先のような気もします。
前向きに楽しく
「ニヒリズム」っていうと、ニーチェを思い浮かべますが・・。
個人的には「ニヒリズム」って言葉に、あまり良い印象を持っていません。
わたしは、この世界(人生)を思いのままに描き替えられる「物語」として、主観的な精神世界を肯定し、前向きに楽しく生きていきたいと思っています。
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