ユングはオカルト?
前回の記事で、ユングについて書かせてもらいました。
彼は無意識を、「個人的無意識」と「集合的無意識(普遍的無意識)」の2つの要素に区別し、物事を捉えるとき「人類の心の中で脈々と受け継がれてきた“何か”がある」(集合的無意識)と考えていました。
こんな話をすると、オカルト扱いして揶揄する人もいるようですが・・。
わたしはこの概念は気に入っているのです。
わたしの姿勢としては、スピリチュアルなことも含めて、自分がしっくりとくるものであればなんでも受け入れようと思います。
決めつけはよくない
ただしそれを絶対的なものとはしません。
なんでも「これはこうだ!」というように決めつけるのが嫌いですし、そもそも絶対的なものなんてないと思っています。
それはその人の「物語」の解釈(環境、状況、立ち位置、相手など)によって変わってくると思うからです。
それに二項対立で物事をとらえることも好きではありません。
ものごとを単純化して一律の基準で決めつけるのはもったいないように思うのです。
もちろんそのほうが心理的なストレスは減りますが、
わたしはちょっとした違和感や、おさまりの悪さに対して「なんでだろう」って考えるのが好きなのです。
そんな性格だから「うつ」になるのです・・(笑)
科学信仰の危険
もう一つ、現在の「科学」に対する信仰?も危険をはらんでいると思います。
この世の中の仕組みは、ほぼすべて科学によって解明されていると思い込んでいる幻想です。
この宇宙には、まだまだ解明されていない謎がたくさんある。わたしたちの知っている世界はほんの一部にすぎないのだ・・
なんて言いながら、実際にはすべてわかっているような素振りです。
しかし意識がどのように発生してくるのかも解明できていません。
それなのに、そのような主観的な世界は科学的ではないと排除してしまいます。
物質主義とでもいうのか、主観的なものは反証可能性がないと言って科学の枠には入れてもらえません。
でもそれは科学がそこまで追いついていないことに対する言い訳ではないでしょうか。
・・この分野ではまだまだ天動説レベルなのですね。
AIに意識が発生したら
また、意識とかこころとかの探求は、科学的なアプローチだけでもダメなような気がします。
わたしが知らないだけで、きっと頑張って探求している方がいらっしゃるとは思いますが・・。
このままいくとAIに意識が偶然発生でもしたら・・と考えると怖いです。
こんなことを書くと、ちょっと面倒くさいやつって思われそうですね。
お伝えしたいことは、もう一つ二つ深いところなのですが、うまく表現できなくてもどかしいですね。
これでは何かの陰謀論に操作されているようにきこえますね(笑)。
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